放送はちょっと前でしたが、マイケル・サンデル 究極の選択「許せる格差 許せない格差」を観て、ちょっと感じることがありました。
http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/harvard.html
ご覧になった方はご存知と思いますが、番組中で、海外のアウトソースを先進国より安い賃金で使うことは正しいのか?というテーマが議題にあがっていました。
この番組の特徴で、最後までハッキリした正しい正しくないのジャッジは下されませんでしたが、いろいろな意見が出る中で考えさせられるテーマではありました。
安い賃金で使うことに反対という意見の中心は中国の学生で、フォックスコンの例を出して、先進国による低賃金でのアウトソーシングは搾取である、同じ労働には先進国と同じ賃金を払うべきという主張をしています。
対する賛成派はやはりというかハーバードの学生が中心でした。そのハーバード生の中でも「生活水準が違うのだから同じ労働力でも先進国と同じ賃金を払う必要はまったく無い」と強く言い切ったのがインドからの留学生というのがちょっと驚きでしたが、概ねその主張が賛成派の主要な意見です。
また、賛成派のもう一つの意見として、安い賃金でも外国から仕事がこなければ国内に職がないのだから、どんどん受けるべき。先進国も途上国を助ける意味で仕事を与えることは良いことである。というのがありました。これは私も概ね同意です。
個人的な事情ですが、私は潤沢な資金がある訳ではなく事業を始めています。もし国内だけで開発をしようとするとおそらく回転資金だけで1年ともたないでしょう。しかしベトナムでのオフショア開発をすることで、まったく売上が立たないとしても1年以上持ちこたえることができます。もちろん半年でダメな物が1年あれば成功するかと言えば決してそんな保証はありませんが、少なくとも踏ん張れる期間が長い程成功するチャンスは多くなります。「失敗の原因は成功するまでしつこく続けないことだ」という言葉がある程、成功には続けることが必要です。経営とはある意味イコール「資金」ですから、お金は大事です。海外アウトソーシングで経費を抑えられるのなら、経営者としては当然選択することはアリです。
受ける方の労働者側を考えた場合、先進国(でなくても良いですが)から仕事を受託するメリットはなにかといえば、まずなにより経験と技術移転ではないかと思います。
「そんなもの安い賃金で搾取されなくとも勉強すれば良いじゃないか」という意見がありそうですが、知識としての勉強と実際のビジネスの場での経験と、どちらがより中身があって実践的かといえば、言わずもがなでしょう。
もし「発展途上国のアウトソース会社ですが、費用は先進国内と同じです」であれば、おそらく誰も発注しないでしょう。技術力が高ければ同じでも発注するでしょうが、その高い技術力はまったくの独力で得ることができるでしょうか?私は疑問です。
どんどん国外からの仕事を受けて、なるべく新しい技術やアイデアに多く触れて、自国のスキルを高めていく。技術やアイデアの面でも高まれば、そこから自国なりの技術や新しいサービスも生まれてくる筈です。また賃金を高くしても、進化した技術やアイデアがあればそれを求めて引き続き国外からの仕事も来ることでしょう。
同じ労働内容なのに国によって賃金に差があるのは差別ではないのかという意見は、確かに難しい問題です。ただし、賃金はその地域の生活水準が基礎にあるものだと思います。ある成果に対する貢献への評価は、それぞれの地域で同じ様な生活レベルをおくることが可能な金銭的評価であって然るべきだと思います。そういう意味で、住む国によって賃金格差があること自体には私は反対しません。そうしないと逆に途上国側で格差が広がったり、極端に言えばインフレを助長する危険性さえあると思います。
とはいえ、例えば海外子会社で採用された社員が、先進国の本社に転勤になったのに賃金が低いままとかであれば、それは差別であると思います。同じ地域のオフィスで外国人労働者の賃金を自国民より安くするのも差別的ですね。同じ生活圏に住んでいるならば、基準賃金は同じであるべきです。もちろん能力や成果に対する評価で差が出るのは問題ありませんが。
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